この日は、午前中に平和記念式典に参加し、長崎観光をした後、長崎歴史文化博物館に向かった。長崎は、その地理もあって、歴史的に外国、とりわけ朝鮮半島とのかかわりが深い地域である。江戸時代、鎖国をしていた日本で唯一貿易を行っていた出島は長崎にあるし、朝鮮半島からの使者である朝鮮通信使の仲介を行ったのは長崎の対馬藩である。
長崎歴史文化博物館は、そんな長崎の歴史をまとめて、その歴史に関する展示がたくさんなされている博物館であり、日本メンバー、韓国メンバーともに非常に深い関心を持って見物することができた。
私が個人的に印象に残ったのは、キリスト教関連の展示である。
事前活動ですでに遠藤周作の「沈黙」を読んでおり、当時の日本のキリスト教に対する態度がどのようなものであったかに対する知識はあったが、今回長崎歴史文化博物館でまず長崎にはキリスト教徒が現在多いこと、そして踏絵などの実際に使われた道具を見て、当時のキリスト教宣教師たちの努力が垣間見えた。
また、この博物館においては、特にこのメンバーで見て回る、ということは決まっていなかったが、日本語の展示や日本語のガイドが何と言っているのかを日本メンバーが韓国メンバーに積極的に説明しようとしている姿も見ることができた。メインフォーラムの3分の1が終わる長崎最後の日であったが、もうすでに最初のころの硬さはなく、残りの日程が楽しみになった瞬間であった。
(北澤佑介)
長崎歴史文化博物館は、そんな長崎の歴史をまとめて、その歴史に関する展示がたくさんなされている博物館であり、日本メンバー、韓国メンバーともに非常に深い関心を持って見物することができた。
私が個人的に印象に残ったのは、キリスト教関連の展示である。
事前活動ですでに遠藤周作の「沈黙」を読んでおり、当時の日本のキリスト教に対する態度がどのようなものであったかに対する知識はあったが、今回長崎歴史文化博物館でまず長崎にはキリスト教徒が現在多いこと、そして踏絵などの実際に使われた道具を見て、当時のキリスト教宣教師たちの努力が垣間見えた。
また、この博物館においては、特にこのメンバーで見て回る、ということは決まっていなかったが、日本語の展示や日本語のガイドが何と言っているのかを日本メンバーが韓国メンバーに積極的に説明しようとしている姿も見ることができた。メインフォーラムの3分の1が終わる長崎最後の日であったが、もうすでに最初のころの硬さはなく、残りの日程が楽しみになった瞬間であった。
(北澤佑介)