名前 大島泰輔(おおしまたいすけ)
参加期 第4期(1988年)、第5期(1989年)
出身大学 慶応義塾大学 経済学部卒(1992年卒)
勤務先 千代田化工建設株式会社 水素チェーン事業推進ユニット所属
参加期 第4期(1988年)、第5期(1989年)
出身大学 慶応義塾大学 経済学部卒(1992年卒)
勤務先 千代田化工建設株式会社 水素チェーン事業推進ユニット所属
大学卒業後のキャリア、現在の仕事内容を簡単に教えてください。
大学卒業後、千代田化工建設に入社。(千代田化工建設は、戦後ずっと国内外の石油、化学コンビナート、現在は主にLNGプラントを建設してきた総合エンジニアリング会社)国内営業配属、石油会社を担当。キャリアとしては環境ビジネスが長く、廃棄物発電事業、カーボンオフセット事業の営業を担当。途中、国会議員秘書を経験、2012年に千代田化工建設に戻り、現在は水素供給事業立ち上げに注力。低炭素社会のインフラづくりに少しでも役立ちたいと思う。
JKSFに参加されたきっかけは?
今は亡き、高校時代の恩師(日本史担当)が、卒業時に「大学に入ったら韓国の歴史を勉強するように」と、はなむけの言葉を下さった。その教えにならい、韓国関係の本を読むようになった。友人の紹介でJKSFが主催する慶応大 小此木政夫教授の講演会に参加、その後、JKSFに参加することとなる。
JKSFを通じて得たもの、仕事に活きていることは?
友人、人的ネットワーク。今も、当時出会った友人群に刺激を受け続けている。
JKSFで出会った韓国の友人は、苦学して東大で博士号を取得、現在は母校 高麗大で教授をしている。彼だけではなく、今も交流が続く韓国の友人のひたむきで、純粋な生き様に、いつも襟を正される。
日本側では、当時、日韓だけではなく、日米、日中といった二国間学生交流の仲間とよく話をした。またJKSFの活動を支援して下さった行政、NPO、財団、大学の方々は、魅力的な方が多かった。今も続く、学生会議の仲間達や、社会人の方との交流の中で、自らの価値観が形成されていったように思う。一言でいえば、「志高く生きること」。目先の利益にとらわれることなく、長期的に見て、何が大切か。仕事をする上で基盤になっている。
ただ、言うは易し、なかなか簡単ではない。迷うこともあるが、友人や、お世話になった方の顔が浮かぶ。この人的ネットワークは、また、がんばってみようと、勇気を与えてくれる。
JKSFで出会った韓国の友人は、苦学して東大で博士号を取得、現在は母校 高麗大で教授をしている。彼だけではなく、今も交流が続く韓国の友人のひたむきで、純粋な生き様に、いつも襟を正される。
日本側では、当時、日韓だけではなく、日米、日中といった二国間学生交流の仲間とよく話をした。またJKSFの活動を支援して下さった行政、NPO、財団、大学の方々は、魅力的な方が多かった。今も続く、学生会議の仲間達や、社会人の方との交流の中で、自らの価値観が形成されていったように思う。一言でいえば、「志高く生きること」。目先の利益にとらわれることなく、長期的に見て、何が大切か。仕事をする上で基盤になっている。
ただ、言うは易し、なかなか簡単ではない。迷うこともあるが、友人や、お世話になった方の顔が浮かぶ。この人的ネットワークは、また、がんばってみようと、勇気を与えてくれる。
最後に一言
これは、自分が学生だった当時も感じていたことだが、今も日本と韓国、国のトップ同士の相手国に対する発言、接し方に違和感を覚えている。自分と韓国の友人との関係に比べてギャップを感じ、自分の気持ちを代弁してくれていると感じることは少ない。
自らがJKSFに参加してから25年以上経つが、日韓関係改善の方策に何か良薬があるかと考えるに、大海の一滴と言われようと、地道な学生交流による友情構築以上に、優れた方法は、なかなか見当たらない。JKSFが始まった頃の韓国の情報とは比べようないほど巷にあふれている。「今更? 日韓」や、「今、なぜ? 日韓」といった声も聞かれるが、「今こそ、日韓」と声を大にして呼びかけたい。ガッツある多くの若者に参加して欲しい。
自らがJKSFに参加してから25年以上経つが、日韓関係改善の方策に何か良薬があるかと考えるに、大海の一滴と言われようと、地道な学生交流による友情構築以上に、優れた方法は、なかなか見当たらない。JKSFが始まった頃の韓国の情報とは比べようないほど巷にあふれている。「今更? 日韓」や、「今、なぜ? 日韓」といった声も聞かれるが、「今こそ、日韓」と声を大にして呼びかけたい。ガッツある多くの若者に参加して欲しい。